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兵庫県朝来市の古城山(こじょうざん)山頂に残る竹田城跡は、「日本のマチュピチュ」「天空の城」の愛称で知られる、日本屈指の山城遺構です。建物こそ残っていませんが、山全体を覆う総石垣の縄張りは「完存する石垣遺構としては全国屈指の規模」ともいわれ、雲海の名所としてだけでなく、石垣そのものの迫力でも多くの人を惹きつけています。
本記事では、竹田城跡の見どころ、築城から廃城までの歴史、そしてアクセス方法まで、訪問前に知っておきたい情報をまとめてご紹介します。
・山名宗全の命による築城から、赤松広秀による石垣改修までの歴史
・「虎臥城」と呼ばれる由来と、放射状に広がる曲輪の構造
・南千畳・北千畳・花屋敷など、竹田城跡の見どころ
・マイカー規制されている竹田城跡へのアクセス方法

1. 竹田城跡とは?——「日本のマチュピチュ」と呼ばれる山城
竹田城跡は、標高353.7メートルの古城山山頂に築かれた山城の跡です。天守や櫓などの建造物は残っていませんが、山全体を覆うように築かれた総石垣の縄張りが、当時の姿をほぼそのまま今に伝えています。秋から春にかけての早朝、条件が揃うと雲海に浮かび上がるように見えることから「天空の城」、その壮大な石垣の景観から「日本のマチュピチュ」とも呼ばれ、近年は国内外から多くの観光客が訪れる人気スポットとなっています。国の史跡に指定されており、日本100名城にも選ばれています。
2. 竹田城の歴史
山名宗全の命による築城
竹田城の始まりは、嘉吉年間(1441〜1444年ごろ)、当時の但馬守護であった山名宗全(やまなそうぜん)が、配下の太田垣氏(おおたがきし)に命じて築かせたのが始まりと伝えられています(口碑)。以後、太田垣氏が初代から7代にわたって城主を務め、この地を治めました。太田垣氏は、垣屋氏・八木氏・田結庄氏とともに「山名四天王」に数えられる有力な国人でもありました。
羽柴秀吉の但馬攻めと、赤松広秀による石垣改修
天正5年(1577年)または天正8年(1580年)ごろ、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による但馬攻めにより竹田城は落城し、太田垣氏も没落したと考えられています。その後、羽柴秀長、桑山重晴と城主が続き、天正13年(1585年)に播磨龍野城主であった赤松広秀(あかまつひろひで、斎村政広)が入城しました。現在に残る総石垣の遺構は、この赤松広秀の時代に整備されたと考えられています。広秀は「仁政の主君」として領民に慕われ、養蚕業や漆器産業を奨励するなど、現在の竹田の地場産業の礎を築いた人物としても知られています。
関ヶ原の戦いと廃城
慶長5年(1600年)、赤松広秀は鳥取城攻めに参陣していた際の不手際を問われ、徳川家康の命により自刃しました。広秀の死とともに竹田城は廃城となり、以後、再びこの地に城が築かれることはありませんでした。
3. 竹田城跡の見どころ
「虎臥城」——山全体に広がる総石垣の縄張り
竹田城は、古城山の山全体が虎が伏せているように見えることから、「虎臥城(とらふすじょう)」という別名でも呼ばれています。天守台・本丸を中心に、南千畳(みなみせんじょう)・北千畳(きたせんじょう)・花屋敷(はなやしき)といった曲輪が放射状に配置されており、縄張りの規模は東西に約100メートル、南北に約400メートルにもおよびます。石垣を残す山城としては全国でも稀有な規模を誇り、当時の築城技術の高さを今に伝えています。
南千畳・北千畳からの眺望
本丸を挟んで南北に広がる南千畳・北千畳は、それぞれ異なる方向の眺めを楽しめる見どころです。眼下に広がる円山川(まるやまがわ)の渓谷や、竹田の城下町を一望でき、石垣の上を歩きながら当時の城主が眺めたであろう景色を追体験できます。
雲海だけではない、四季の魅力
竹田城跡というと雲海のイメージが強いかもしれませんが、それ以外の季節にも見応えがあります。春には石垣と桜の共演が楽しめ、青々とした木々に覆われる夏、澄んだ空気の下で石垣がくっきりと浮かび上がる冬など、季節ごとに異なる表情を見せてくれます。雲海の発生時期・撮影スポットについては、以下の記事で詳しくご紹介しています。
4. アクセス方法
竹田城跡は通年マイカー規制が敷かれており、一般車両で山上近くまで乗り入れることはできません。麓の「山城の郷」または竹田駅周辺の「まちなか駐車場」(いずれも無料)に車を停め、そこから天空バス・タクシー・徒歩のいずれかで向かいます。徒歩の場合、駅裏登山道・表米神社登山道で約20〜25分、南登山道(舗装されており比較的歩きやすい)で約30分が目安です。JR西日本播但線「竹田駅」が最寄り駅で、特急「はまかぜ」の一部列車も停車します。
観覧料は大人(高校生以上)500円、中学生以下は無料が目安です(変更される場合があります)。観覧時間は季節によって異なるため、訪問前に公式サイトでの確認をおすすめします。
竹田城・但馬エリアへの旅を計画される方には、宿泊予約もあわせてご検討ください。
5. よくある質問(FAQ)
Q1:竹田城跡はなぜ「日本のマチュピチュ」と呼ばれるのですか?
A1:山全体を覆う総石垣の壮大な景観が、南米ペルーの世界遺産マチュピチュを連想させることから、こう呼ばれるようになったとされています。
Q2:竹田城はいつ、誰が築いたのですか?
A2:嘉吉年間(1441〜1444年ごろ)、但馬守護の山名宗全が配下の太田垣氏に命じて築かせたのが始まりと伝えられています。
Q3:現在の石垣はいつ整備されたものですか?
A3:天正13年(1585年)に城主となった赤松広秀の時代に、総石垣造りへと改修されたと考えられています。
Q4:竹田城跡へは車で行けますか?
A4:通年マイカー規制のため、直接車で乗り入れることはできません。麓の駐車場に停め、天空バス・タクシー・徒歩でアクセスします。
6. まとめ|石垣だけが語り継ぐ、山城の記憶
竹田城跡は、山名宗全の築城から太田垣氏7代の統治、赤松広秀による石垣改修、そして関ヶ原の戦いをきっかけとした廃城まで、戦国時代の激動をそのまま封じ込めたような史跡です。建物こそ失われましたが、山全体を覆う総石垣の迫力は、雲海がなくても十分に見る者を圧倒します。
雲海の絶景はもちろんのこと、四季を通じて異なる魅力を見せるこの「天空の城」を、ぜひじっくりと歩いてみてください。

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### 免責事項・出典注記
本記事の竹田城跡の歴史・見どころ・観覧料等の記述は、朝来市公式サイト等で確認できた情報に基づいています(築城年代・経緯については口碑によるものを含み、諸説あります)。観覧料・観覧時間・アクセス方法は変更される場合があるため、訪問前に必ず竹田城跡公式ホームページ(朝来市)で最新情報をご確認ください。

















