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  • 名古屋城の歴史と城主|徳川家康・尾張徳川家の物語


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    名古屋城は、徳川御三家の筆頭・尾張徳川家の居城として260年余りにわたり栄えた名城です。その始まりには、天下人となった徳川家康の戦略的な狙いがありました。この記事では、名古屋城が築かれた経緯と、初代藩主・徳川義直から続く歴代城主の歩みをたどります。

    【この記事でわかること】
    ・名古屋城が築かれる前の「那古野城」の歴史
    ・徳川家康による築城の経緯と「天下普請」の仕組み
    ・初代藩主・徳川義直と尾張徳川家16人の藩主
    ・現代に伝わる尾張徳川家ゆかりの史跡

    名古屋城の石垣と清正石のイメージ

    1. 名古屋城が築かれる前史|那古野城の時代

    現在の名古屋城二之丸にあたる場所には、かつて「那古野城」という城がありました。今川氏によって尾張への備えとして築かれたとされ、1538年(天文7)頃には織田信長の父・織田信秀がこの城を奪い、後に信長へと譲られたと伝えられています。信長は1555年(弘治元)に清須城へ移るまで、この那古野城を居城としていました。その後、那古野城は廃城となります。

    2. 徳川家康による築城の由来と「天下普請」

    関ヶ原の戦いに勝利し天下を掌握した徳川家康は、豊臣方への備えと東海道の要衝確保を目的に、慶長14年〜15年(1609〜1610年)ごろ、新たに名古屋の地に城を築くことを決めました。この工事は、幕府が全国の大名に工事を分担させる「天下普請」という方式で行われ、加藤清正・福島正則・浅野幸長・前田利常・黒田長政ら、西国の有力大名20家が動員されたと伝えられています。

    特に築城の名手として知られた加藤清正は、本丸の石垣工事に力を発揮したとされ、本丸東門桝形石垣にある巨石「清正石」は今も見る者を圧倒する存在感を放っています(なお、この石垣の施工を担当した大名は黒田長政であったとする説もあり、清正が運んだという逸話は後世に広まった説話とも考えられています)。天守閣や諸門・櫓などの作事は1612年(慶長17)に完成し、続いて本丸御殿の造営が始まりました。

    3. 尾張徳川家の誕生と歴代藩主

    1607年(慶長12)、家康の九男・徳川義直が尾張藩主となり、尾張徳川家の歴史が始まります。義直はまだ8歳と幼く、当初は付家老の平岩親吉が政務を代行しました。1615年(慶長20)に本丸御殿が完成し、家康が没した1616年(元和2)、17歳になった義直が名古屋城に入城します。義直は、新陰流の柳生利厳を召し抱えたことや、学問を奨励して尾張教学の礎を築いたことでも知られています。

    1620年(元和6)、義直は住居と政庁を二之丸御殿へ移したため、本丸御殿はその後、江戸幕府将軍が上洛する際の宿泊施設として使われるようになりました。1634年(寛永11)には、三代将軍・徳川家光の上洛に備えて「上洛殿」が増築され、御殿の中でも最も格式高い空間として整えられました。

    以降、尾張徳川家は義直を初代として、光友・綱誠・吉通・五郎太・継友・宗春・宗勝・宗睦・斉朝・斉温・斉荘・慶臧・慶恕(慶勝)・茂徳・義宜と、16人の藩主によって260年余りの治世が続きました。二代・光友は酒造りを奨励し、名古屋の酒造業発展の礎を築いたと伝えられます。七代・宗春の時代には芸事や娯楽が奨励され、名古屋が「芸どころ」と呼ばれる基盤が形成されたともいわれています。八代・宗勝は緊縮財政で宗春時代の赤字解消に努め、その方針を受け継いだ九代・宗睦は40年にわたり藩政を担い「尾張中興の祖」と称されました。

    4. 現代に息づく尾張徳川家の遺産

    1930年(昭和5)、天守閣と本丸御殿は城郭として日本で初めて国宝に指定されましたが、1945年(昭和20)の空襲によりいずれも焼失しました。天守閣は1959年(昭和34)に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建され、本丸御殿は約10年をかけた復元工事の末、2018年(平成30)に全面公開されています。

    尾張徳川家に伝わる大名道具や美術品の数々は、現在は名古屋市内の徳川美術館で見ることができ、御三家筆頭としての格式の高さを今に伝えています。名古屋城とあわせて、尾張徳川家ゆかりの史跡や史料に触れてみるのもおすすめです。

    名古屋城の歴史をより深く学びたい方には、尾張徳川家や城郭に関する解説書もおすすめです。



    尾張徳川家ゆかりの本丸御殿上洛殿のイメージ

    5. よくある質問(FAQ)

    Q1:名古屋城を築いたのは誰ですか?
    A1:徳川家康の命により、慶長15年(1610年)ごろから天下普請という形で築城されました。初代尾張藩主には家康の九男・徳川義直が就いています。

    Q2:尾張徳川家は何人の藩主が続いたのですか?
    A2:初代・義直から16人の藩主が、260年余りにわたって尾張藩を治めたと伝えられています。

    Q3:「清正石」は本当に加藤清正が運んだのですか?
    A3:清正が運んだという逸話が広く伝えられていますが、この石垣部分の施工大名は黒田長政であったとする説もあり、後世に広まった説話である可能性が指摘されています。諸説ある点にご留意ください。

    6. まとめ|名古屋城に刻まれた260年の歴史

    名古屋城は、天下人・徳川家康の戦略のもとに築かれ、尾張徳川家16人の藩主によって260年余りにわたり守り伝えられてきました。石垣に残る大名たちの刻印や、復元された本丸御殿の障壁画には、当時の技と権威の証が今も息づいています。城を歩く際には、こうした歴史の重なりに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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    ### 免責事項・出典注記

    本記事の情報は執筆時点(2026年8月)のものです。歴史的な逸話には諸説あるものが含まれます。正確な情報は名古屋城公式ウェブサイト等でご確認ください。
    【参考情報源】名古屋城公式ウェブサイト「名古屋城の歴史」「本丸御殿」(https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/)