年の瀬が近づくと、関東各地で賑わいを見せる「酉の市(とりのいち)」。境内いっぱいに並ぶ熊手や提灯の明かり、威勢のよい手締めの声――その光景は、冬の訪れを告げる日本の風物詩のひとつです。
しかし、単なる縁日ではなく、酉の市は「商売繁盛」や「開運招福」を願う信仰に根ざした伝統行事。この記事では、その起源と意味をひもとき、日本人の暮らしに息づく“福を招く心”を探ります。
酉の市の起源 ― 鷲神社と日本武尊の伝説
酉の市の始まりは、江戸時代よりも古いとされます。発祥の地として知られるのが、東京都台東区の鷲神社(おおとりじんじゃ)。ここでは、古代の英雄・日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神としています。
伝承によれば、日本武尊が東征を終えた際、鷲神社に戦勝祈願のお礼参りを行ったのが11月の酉の日だったといわれます。その日を記念して市(いち)が立ち、これが「酉の市」の起源になったと伝えられています。
また、古くは農民たちが収穫を祝う収穫祭として、村の守り神に感謝を捧げた行事でもありました。“鷲=福を掴む象徴”とされることから、のちに商人や職人たちが運を呼び込む祭りとして広まっていったのです。
「酉の市」はいつ開催される?
酉の市は毎年、11月の酉の日に各地の鷲神社や大鳥神社で行われます。酉の日は十二支の「酉(とり)」にあたる日で、年によって一の酉・二の酉・三の酉と、2〜3回巡ってきます。
特に「三の酉まである年は火事が多い」という言い伝えもあり、江戸の庶民はこの時期になると火の用心を心がけたともいわれています。
熊手の意味 ― 福をかき集める“縁起物”
酉の市といえば、境内を埋め尽くす「熊手(くまで)」。派手な飾りを施した熊手は、まるで宝船のように煌びやかで、見る者の心を躍らせます。
この熊手は、もともと農具の一種であり、落ち葉をかき集める道具。その形から、「福をかき集める」「運を呼び込む」という願いが込められ、商売繁盛の象徴として信仰されるようになりました。
江戸の町では、商人が店の繁盛を祈って熊手を買い求め、毎年ひと回り大きなものに買い替えるのが縁起が良いとされました。
熊手を買う際の「三本締め(手締め)」の掛け声――“ヨッ、繁盛!”と響くその声が、江戸の冬を彩る音風景となったのです。
関東を代表する酉の市
現在では、東京を中心に各地で盛大に行われています。特に有名なのが次の三社です。
浅草・鷲神社(おおとりじんじゃ)
「元祖酉の市」とも称される浅草の鷲神社は、最も多くの人で賑わう場所。境内には数百軒もの熊手店が並び、毎年延べ70万人以上が訪れるといわれています。
新宿・花園神社
新宿の花園神社では、芸能関係者や商売人が多く参拝に訪れることでも知られています。夜のネオンと提灯の灯りが交錯する光景は、まさに“都会の歳末風景”です。
府中・大國魂神社
東京西部の大國魂神社でも古くから酉の市が開かれ、地域の商店や市民が一体となって賑わいを見せます。参道の屋台や太鼓の音が、古式ゆかしい雰囲気を漂わせます。
酉の市が伝える“福を呼ぶ心”
酉の市は、単なる商売繁盛の祭りではありません。そこには「努力した者に福が訪れる」という日本人の信仰が息づいています。
毎年熊手を新調し、商いの成功を祈ることは、翌年に向けた決意表明でもあります。
また、威勢のよい掛け声や商人同士のやり取りには、互いの繁栄を願う“和の精神”が感じられます。
忙しい現代においても、酉の市は人と人とを結び、希望とエネルギーを分かち合う場として続いています。熊手を掲げ、福を掴もうとする姿は、古来から変わらぬ日本人の祈りのかたちを象徴しているのです。
まとめ ― 歳末の祈りを未来へ
酉の市は、江戸から現代へと受け継がれる「開運・商売繁盛の祭り」であり、同時に人々が一年の無事を感謝する行事でもあります。
華やかな熊手の輝きの奥には、自然と神への敬意、努力を重ねる人々へのエールが込められています。
歳末の慌ただしさの中、酉の市の境内で響く手締めの音を聞けば、きっと新しい年への希望を感じることでしょう。